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ココロルミナス

書きたい事を書くだけ

これまでの事(3)

 

皆さまこんにちは、Miuです。

気付けばもう12月ですね……

 

 

今回は【高校入学(1度目)~定時制高校再受験までの引きこもり期間】の期間についての話です。

 

高校は昔からある、典型的な地方の普通科高校で、良くも悪くも「地域の高校」でした。

 

元々行きたくない高校であった事もあって、最初からまともに行く気など無かったのですが、それでも最初の1学期は頑張って通いました。

 

中学の頃には無かった、「朝自習」の為かなり朝起きるのは早くならざるを得なくなりました。

次第に朝起きれなくなっていきましたが、当時の両親はただ怠けているだけと思った様で、文字通り強制的に連れて行かれてました。

 

結局何がダメだったのか、一言ではまとめきれませんが、簡単に言うと、教室が騒がしかったのと、地方特有の馴れ合いが本当に嫌でした。

 

自分の中学から恐らく半分位は同じ高校に進学したかと。

中学でのコミュニティがそっくりそのまま高校になっただけで代わり映えのしない教室。

 

当然の様に昼休みは1人でした。

 

それも毎日。

 

 

この辺りから、2次障害として強迫性障害を発症したと記憶してます。

 

こういった内面の変化は自分では気付けないもので(それがASDなのかもですが…)最初に異変に気付いたのは母でした。

確か夏前くらいだったと思います。

 

「最近、手を洗う回数多くない?」

 

その一言から、今も通っている病院への通院が始まりました。

 

初診の時に、自分が何を言ったのかは全く覚えてないのですが、それでも学校を合法的に休めることの方が嬉しかったです。

 

当時の自分はただ毎日の事で精一杯でそんな事に気付く余裕も無かったのかもしれません。

 

その後は定期的な通院に加え、高校側からの提案もあり2学期は別室登校となりました。

一応別室登校としつつ、受けられる授業は出てもいいとの事でしたが、やはり「周りの視線」が気になって全く授業は受けませんでした。

 

そういう訳なので当然、留年の話が高校側からあるのですが、その当時の自分はとにかく「家から出たくない」その一点だったとうっすらと記憶してます。

 

結果として留年とはなりましたが

同時に母の提案で休学扱いになりました。

 

高校に行かなくてよくなる事は嬉しかったはずですが、それよりも道を外れてしまった事の方がショックでした。

 

当時は高認(高校卒業程度認定試験)の存在など知らず、皆高校に進みそして大学、就職と進むものなのだと思い込んでいました。

 

 

その後、約1年程自宅で療養(要は引きこもりです)した後、主治医の勧めもあり定時制高校を受けることになりました。

 

この高校は新設の県立高校で、定時制でありながら午前中も授業があり、それらを文字通りパズルの様に組み合わせる単位制のシステムを取り入れていました。

 

最短3年で卒業可能の謳い文句に最初は心躍りましたが、いざ受験するとなる途端に弱気になりました。

これも新設の高校であるゆえにASD特有の未知への恐怖だったのかもしれないです。

 

試験は無事合格し、2年遅れでの2度目の高校生活が始まりました。

 

 

 

 

果たしてこの判断が正しかったのかは、今でも時々考えてしまいます。

 

無理をしてでも通っていれば、遅れる事なく卒業出来てたかもしれないと思うとやはり間違えたのかもとも思いますし、逆に遠回りをした事で見えなかったものが見えた事もあるので、自分でもどちらが正しいなんて分かりません。

 

結果としてはこの後大学で更に留年してしまう訳ですがそれはまた今度にします。

 


それでは

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これまでの事(2)

皆さまこんにちは、Miuです。

今日も大学を休んだため、先週の金曜日から実質6連休となっております(笑)

 

朝…起きれないんです…

 

精神科通院中で薬を飲んでいるのですが、副作用で凄まじい眠気が…

 

 

言い訳はこれくらいにして、本題に入ります

今日は【小学4年生~中学3年生】を振り返ります。

 

小学4年生になるタイミングで自分の生まれた街へと引っ越してきました。

今もこの街に住んでいますが、正直言って何もないです。

この時家を新築したので、新居が出来るまでの間、母方の実家から通学してました。

 

まず都市と地方のギャップ大きさに驚きました。

 

教室にストーブがあるわ、校舎は綺麗だわ…(後に前の小学校も建て替えられたようです)

始業式では全校生徒の前で自己紹介をしましたが、何を言ったのか覚えていません…

最初は転校生という事でそれなりにクラスメートから話し掛けられてましたが、コミュニケーションが上手く取れずに次第に一人になっていきました…

 

思えばこの頃が、自分がASDであると感じ始めた辺りなのかもしれません。

 

(当時は高機能自閉症アスペルガー症候群と呼ばれていました)

 

また運動会前にちょっとした不注意から足がアイロンに当たってやけどになりました。
さほど痛みを感じなかった記憶があり、やはりこれも感覚障害の一つなのかもです…

 

5年・6年生では特に大きな問題は起きなかったと思います。

修学旅行にも行きましたし、運動音痴ながらもちゃんと運動会にも参加していました。

強いて挙げるならば、子ども会(地方によっては名称が違うのかも)でソーラン節をさせられた事くらいかと。

 

そのまま、地元の公立中学校に進学し(自分の通っていた小学校+近隣2校からの児童が集まる)1年生の間はあまり問題はありませんでしたが、2年生に上がったころから徐々にボロが出始めました。

 

1年生で美術部に入部した自分は、2年生で部長になりました。

他になり手がいなかった…のもありますが、一番は人より上に立ちたかったのがありました。

今思えば何をやっていたのかという感じですがね…

それで部長として部を率いていく事になるのですが、ASD特有の空気の読めなさなどから何度もほかの部員と色々な事で衝突してしまい、皆が帰った部室で一人泣いていた事もありました。

同じく2年生の時に修学旅行で関西に行きましたが、特にこれと言って思い出は…です

担任教師と2人で何のアトラクションにも乗らずにUSJをまわった嫌な記憶しかないです…(それも自分の誕生日…)

 

また2年生の頃、軽めのいじめの様なものもありました。

自分が悪いから…とさほど問題にはしませんでしたが、これがのちの高校行き直しに繋がる事になるとは当時は思いませんでした。

 

ちなみに中学時代の成績は中の上?位でした。

ただこの頃から数学は苦手でした…

 

そして中学3年生、高校受験の年です。

とにかく当時の担任が進路指導がひどくて…

 

自分は隣の市の進学校に行きたかったのですが…

 

普通科高校ならどこも一緒だろ」

 

「地元の高校なら支援できるように事前に言ってやる(意訳)」

 

しまいにはその高校の見学の際にも嫌な顔をされました

はっきり言って、今でもあの教師を恨んでいます。

 

結局は父の「定期代どうするんだ」という一言で地元の高校に決まりましたが、元々行きたくない高校でかつ、前述のいじめの件もあって最初から行く気なんてありませんでした。

 

 

続きはまた今度にします

ここまで読んで頂きありがとうございます。

 

それでは

 

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これまでの事(1) 

皆さまこんにちは、Miuです。

九州も日に日に冬へと近づいています。

 

日も短いですし、この時期は不安になりやすいです…

 

さて、このブログのタイトルにもあるように、これまでの自分の過去を1度振り返ってみたいと思います。

(これだけでも相当な量になりそうですが)

 

自分の過去は大きくこんな感じに分けられます。

 

・幼少期~小学3年生

・小学4年生~中学3年生

・高校入学(1度目)~定時制高校再受験までの引きこもり期間

定時制高校入学~卒業・大学入学式当日まで

・大学入学式で感じた違和感~「大学不登校」へ

・2回目の引きこもり~障害告知・復学

 

そして現在、24歳で大学2年生です。

(大学内でもこの事は秘密にしています)

 

ひとまず【幼少期~小学生3年生】までを振り返りたいと思います。

 

自分は九州の片田舎で生まれましたが、生まれてすぐに都市部へ引っ越しました。

ちなみに母によれば、喋るのが遅かったとの事です。

その後カトリック系の幼稚園に入園。(自分はカトリックではないですが…)

当時はかなり多動が強く出ていたらしく、園の方にも迷惑をかけていたようです。

 

この頃には既にADHDの診断が下りていたようで、定期的に隣街の国立病院まで通院していました。

 

自分で記憶に残っているのは年長の時のちょうど今頃、クリスマスの劇の主役をやった事くらいです。

カトリック系の幼稚園らしく普通の幼稚園と違いただ歌ってケーキを食べて終わり、ではなく聖書に則ったような劇をした記憶があります。

確か「キリスト生誕」の劇でかなり重要な役だったと思います。

詳しくは聖書の方でお確かめ下さいませ。

 

あまり記憶には無いですが当時は園の先生も驚くほどしっかりしていた様で…

ちょうどその頃が弟が生まれるとかで、「お兄ちゃんになるからしっかりしなきゃ」とまで言っていたようです。

その頃には多動も収まっていたようで小学校は普通の市立になりました。

 

※当時、国立大学付属の小中学校がありましたが、試験+抽選制?だったので

 

小学校1年では担任教師がかなり高圧的で、しかもクラスにガキ大将?っぽいのがいて、色々された記憶があります。
鉛筆で手の甲刺されたり、髪の毛を引っ張られたりとかだったと思う。それも自分以外にも。
でも担任は「彼は施設(児童養護施設だと思います)の出身のかわいそうな子だから文句言うな(意訳)」と全く取り合ってもらえませんでした…

 

小学校2年生の頃については、すいません、ほとんど記憶に無いです。

ただ、そろばんの授業があって、それが苦手だったのは覚えています。

 

小学3年生の時に初めて「自分が人と違う」と感じ始めました。

また当時はADHDの方が強く出ていた為、リタリンの服用をこの頃から始めました。

(後にリタリン処方中止でコンサータに処方切り替え)

ある日の下校時に不良っぽい児童に色々言われたり、後ろから蹴られたりしてからしばらくは登校拒否気味でした。

 

今思えば人間不信に陥っていたのかもしれません。
それでも当時は休み時間に話をするくらいの友達はいました。
もしかすると上辺だけだったかもしれませんが

 

また、確かこの時期に県の教育センターで「グループセラピー」なるものをやってて、それに参加していました。

一体どんな事をして、どんな効果があったのか、全く覚えていませんが、その時の職員にとても可愛がられ、その方とは今でも交友があります。

 

 

ここまでが一区切りになると思います。

この後父の仕事の都合で生まれ故郷へと戻ることになるのですがそれについてはまた次回という事で。

 

 

滅茶苦茶な文章ですがここまで読んで頂き、ありがとうございます。

 

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はじめまして

はじめまして。

今日からブログの方も始めさせていただきます。

大学2年生のMiuです。

Twitterでは書けないような、昔の事や長くなりそうな話、大学の話など色々書いていきたいと思います。

また趣味の話なども出来たらいいなと思ってます。

 

初めましての方もいると思うので簡単な自己紹介を

 

【名 前】Miu(Twitterもこの名前でやってます)

【年 齢】24歳ですがまだ大学2年生…

【性 別】男ですが、同性は苦手です

【出身地】九州

【病 歴】自閉症スペクトラム障害(ASD)、強迫性障害、不安神経症など

【趣 味】アニメや鉄道など…

 

このブログを通して、発達障害者の「リアルな声」を発信したいと思っています。

 

それでは。

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